高岡修詩集《火口の鳥》


目次

卵 10 
赤子 12 
海 14 
桜 16 
羽化 18 
人さし指 20 
指切り 22 
水すまし 24 
窓 26 
橋 28 
笛 30 
蟻 32 
滝 34 
脱皮 36 
釣り 38 
地軸 40 
かくれんぼ 42 
椅子取りゲーム 44 
影踏み遊び 46 
落とし穴 48 
紙飛行機 50 
白日傘 52 
天牛 54 
河口 56 
崖 58 
氷河 60 
火蛾 62 
鰯雲 64 
釘 66 
空白 68 
アウシュビッツ 70 
ストア 72 
台風 74 
秋 76 
通せんぼ 78 
折鶴 80 
すべり台 82 
鬼灯 84 
夢の梱包機 86 
精霊流し 88 
空蝉 90 
ヴァイオリン 92 
火口の鳥 94 
夜の川 96 
あとがき 98 
 
装幀*高岡 修

 


 
 


いま
卵のなかは
嵐のようです
卵殻に耳をあてると
ごうごうという音が
聴こえてきます
生まれ出ようとする
ひとつの未来が
吹きすさんでいるのでしょうか 

 

 

 


 

赤子


あなたが
いっしんに
乳房から吸っているもの
それが
太古の海の潮鳴りです

あなたが
そんなにも激しく
にぎりしめているもの
それが
太古の森の木洩れ日です
 
 

 

 


 


あなたもまた
遠い時間から来た
海の
ひとつです
あなたがすわるとき
椅子は
塩からい木の海辺です
あなたが歩くとき
道は
突然の波打ち際です
春になると
あなたの心の沖あいには
蜃気楼がゆらぎ
胸の潮だまりには
三葉虫やオウムガイが
遊びます
 
 
 

 

 

 



風もないのに
もう桜が
散りはじめています
死んだ子どもたちのまなざしが
花びらに
触れているのです

空を
埋めつくすほどの
花吹雪です
死んだ子どもたちの手が
枝という枝を
ゆさぶっているのです
 
 
 

 

 

 

羽化


その朝
広島の大地には
おびただしい数の蝶の影が
灼きつけられました

影も
産卵します

この朝
影のさなぎから
影の蝶が
次々と
羽化しています
 
 
 

 

 

 

人さし指


死んだ子どもたちの
人さし指は
透きとおっています
その指先から
憎悪のしぶきが噴き出すのを
見てしまったからです
指さされつづけて
死んでしまった子どもを
たくさん
見つづけてきたからです
 
 
 

 

 

 

指切り


死んだ子どもたちの世界では
指切りは
一度だけです
一度
指をからめてしまうと
ほどけないのです
ほどけなくなった指は
ほどけないまま
切ります
切られた指は
切られたまま
その場所で
咲きつづけます
ですから
死んだ子どもたちの世界では
指切りは
ただ一度だけなのです
 
 
 

 

 

 

水すまし


津波で打ち上げられて
一匹の水すましが死んでいます
彼は知っています
水の世界が
青く
静かに
たたえているもの
それが
殺意だったということを
そしてなお
彼じしんが
水の殺意の表面張力に浮かんでは消える
小さな眩暈にしかすぎなかったということを
 
 
 

 

 

 


海岸に
一個の窓枠が
漂着しています
しかし
外界と内界との境界を出てしまうと
窓は
窓ではありません
それはもう
かつて窓であったものの
残骸としか言いようのないものです
ただ、それでも
窓辺だけは
そこにあります
窓辺が記憶している
あなたの頬杖だけは
そこにあります
 
 
 

 

 

 


橋じしんもまた
橋でありつづけるために
ひとつの岸から
もうひとつの岸へ
渡りつづけています
しかし
ときには橋も
自分自身が
わからなくなります
ついに
両岸を
見失なうのです
長い橋を渡っているとき
あなたが
ふと立ちどまってしまい
いったいどちらの岸からやって来たのか
わからなくなるのは
そのせいです
 
 
 

 

 

 


あなたの
息を
私に
ください
あなたの息で
私の虚ろが
響きわたります

あなたの
最後の息を
私に
ください
あなたの最後の息で
私の虚ろを
満たします
 


 
 

 

 


怒りまくっている奴がいます
泣きわめいている奴がいます
立ち止まって
何やら考えこんでいる奴がいます
そのすぐそばで
まるで笑いころげているかのように
死んでいる奴がいます 
 

 

 

 

 


堕ちゆくことこそが自由――
と叫んで
水が
堕ちてゆきます
その
水の滅びの中心に
まるで再生する水の精神のように
滝は
立ちあがります 
 

 

 

 

 

脱皮

死んだ子どもたちは
七月が
好きです
見ていると
いっせいに
空が
脱皮しはじめます
蛇科としての習性を
あらわにするのです
天心に
邪悪のこころは
匂い高く
全身を
原罪の鱗が
おおいます
 
 
 

 

 

 

釣り


死んだ子どもたちが
釣り上げているのは
魚の脳の奥の
太古の海の記憶です
魚が身をくねらすたびに
太古の海の色も
揺れます
魚が全身をひるがえすたびに
太古の海は
眼からあふれ
しぶきとなって
空に
溶けていきます
 
 
 


 

 

地軸


うっすらと
地軸をみせて
地球が
自転しています
地軸は
二十三度四十三分
傾いています
おかげで
地球は
四十六億年も
うなだれたままです
 
 
 

 

 

 

かくれんぼ

そんな高いところに
かくれてはいけません
どれほど木が背のびしても届かないような
そんな高いところに
かくれてはいけません
あなたを探し出せずに
あの日からずっと
みんなが
鬼のままです
 
 
 

 

 

 

椅子取りゲーム

昼食も終り
昼寝も終った午後の保育園で
子どもたちが
椅子取りゲームをしています
ところが
いつも
ひとつの椅子だけ
あいてしまいます
誰よりも先に
その椅子には
死んだ子どもがひとり
すわっているのです
 
 
 

 

 

 

影踏み遊び

影を
失なってみて
初めて
影踏み遊びが
どれほど楽しかったかが
わかります
だからなのでしょうか
影踏み遊びに興じる
子どもたちのまわりには
いつも
死んだ子どもたちの
焦がれるようなまなざしが
あります
 
 
 

 

 

 

落とし穴

天上の草原にも
落とし穴はあります
父や母や
とても親しかった友達が
夢の中で会いにこようとしたとき
途中で帰ってしまわないようにと
天上の子どもたちがつくった
切ない罠です
夜が明けると
天上の子どもたちはいっせいに
落とし穴を見に行きます
しかし
そこにはいつも
誰も落ちていません
ただ
少し踏み破られたとおぼしき草のおおいに
地上の夢の切れはしのようなものが
わずかに引っかかっているだけです
 
 
 

 

 

 

紙飛行機

ときおりは紙飛行機も
死んだ子どもたちの空を飛びたいと
激しく願うのです
かつて
紙飛行機を
折っては飛ばしてくれた
小さな指が
忘れられないのです
それゆえ
その空への垣根を越えてしまうと
紙飛行機は
二度とこちらへ
帰ってきません
 
 

 

 

 


白日傘

夏の海辺で
日を返して
白日傘が
ひかっています
ただ
ここでも
本当にまぶしいのは
あなたの不在です
 


 




 

天牛  てんぎゅう


風のつよい天上では
空の髪も
激しく
うねります
しかし
空の髪を梳くための
青い櫛は
どこにも見当りません
青い櫛を探しあぐねて
ひとり
きりきりと
空の髪を嚙んでいるのは
天牛です

       天牛=髪切り虫のこと 
 

 

 

 

 

 

河口

子どもたちの胸の平原にも
河口はあります
いのちの源流から流れてきた水が
そこで
ひとつの海へ出るのです
まったく性質の異なった水が出会うのですから
当然
いくつもの渦をつくります
ちょっと見には
もみあっているようにも思えますが
それはちがいます
ふたつの水は
ただ立ち止まって
溶け合うことに
少し
とまどっているだけです
 
 
 

 

 

 


崖から
何よりも全的に
投身しているのは
崖じしんです
ですから
崖の遥けさとは
投身した自分じしんへの
遥けさです
めくるめく崖の高さとは
投身した自分じしんが見上げている
滅びへの
まぶしさです 
 

 



 

 

氷河

あなたの中にも
氷河は
あります
当然のように
あなたの中の氷河にも
果てしなく深い裂けめが
あります
あなたの中の氷河の
果てしなく深い裂けめに落ちると
あなたもまた
死んでしまいます 
 
 

 

 

 

 

火蛾 ほが

次々と
誘蛾灯に吸い寄せられ
ひときわ赤々と炎えているもの
あれが
蛾の脳です
脳のなかの
狂えざることへの
憎悪です
 
 
 
 


 

 

鰯雲 いわしぐも

天上の海に来て
うれしそうに
胸びれを振っているのは
殺された
鰯たちです

まだ知りませんが
空が染まるあたりで
彼らはふたたび
空の投網に
かかります 
 
 

 

 

 

 


遠い日
ゴルゴダの丘で
ひとりの男の手足に
釘が
打ちこまれました
それ以来
血を流しつづけているのが
釘です
その丘から
全世界の夕景へ
今もなお血を流しつづけているのが
その
四本の釘です 
 
 

 

 

 

 

空白

切られた木の痛みを
森は記憶しています
撃ち落とされた鳥の哀しみを
空は記憶しています
その日から
切られた木の部分だけ
森は
空白のままです
あの日から
撃ち落とされた鳥の部分だけ
空は
空白のままです
 
 
 
 

 

 

 

アウシュビッツ

その空地で
朝焼けているのは
捨てられた手袋に残る
少女の
小さな手の
記憶です

その空地で
夕焼けているのは
捨てられた靴に残る
少年の
小さな足の
記憶です
 
 
 
 

 

 

 

ストア

このストアでは
エビや
蟹や
魚の類にとどまらず
ニワトリや
牛や
豚など
彼らが殺されるときの
動悸と
まなざしを添えて
売っています 
 
 

 

 

 

 

台風

あなたのいる
天上でも
感情線は
荒らぶるのですか
いま
地上では
秋の
指紋がひとつ
吹きすさんでいます
 
 
 

 

 

 


永遠への
飢え深い
秋です

野では
櫨もみじがひとり
火刑を
想像しています

天上では
死んだ子どもたちがひとり
新しく覚えた言葉を
空に
画鋲で
とめています 
 
 

 

 

 

 

通せんぼ

もういないあなたと
まだいないあなたとの
その狭間で
いったい誰が
通せんぼをしているのですか

あなたであったものが
再びあなたに帰ってくる
その狭間で
いったい誰が
通せんぼをしているのですか

秋です
赤とんぼの胎を裂くと
あかね雲の卵が
ぎっしりと
つまっています 
 
 

 

 

 

 

折鶴

死んだ子どもたちが
鶴を
折っています
いっしんに折り添えているのは
紙の鶴たちが
やがては夢みるだろう
空の青さです
ひたすら折りこんでいるのは
紙の鶴たちが
ついに翔ぶことのない
天上の
怒濤です 
 
 

 

 

 

 

すべり台

あの
夕焼けの
いつまでも消えないところに
すべり台があります
幼ないままで死んだ子どもたちの
すべり台です
もっと高い所へ行かなければならない時刻なのに
みんな滑るのをやめようとはしません
滑り降りたところに
お母さんが待っているような気がするのです
しかし、滑り降りた空の地平のどこにも
お母さんはいません
泣きじゃくりながら
それでも死んだ子どもたちは
幾度も
すべり台の階段を登っていきます
その哀しみの果てしなさが
いつまでも夕空を染めつづけているのです
 
 
 
 

 

 

 

鬼灯 ほおずき

いいえ
鬼の灯ではありません
天上から帰ってくる
死んだ子どもたちのために
地上が点す
植物の灯です

そうです
地上に帰ってきた子どもたちが
てんでに口にくわえては鳴らす
植物の灯の音です

見てください
植物の灯のなかには
いま死につつある子どもたちのために
もう次なる灯の種が
ぎっしりと
つまっています
 
 
 

 

 

 

夢の梱包機

かつては
夢を梱包する機械でした
ところが
包むべき夢がなくなってしまったのです
仕方なく
心の闇を梱包するようになりました
ところが
心の闇には果てがありません
たとえ梱包したとしても
引き取り手もありません
今では世界中が梱包した闇だらけです
さすがに
梱包機じしんの電子脳にも
巨大な闇が生まれています
いつまでも再生しない夢に対して
殺意さえ湧き出ています
 
 

 

 

 

 

精霊流し

死んだ子どもたちのための
灯籠が
流れています
灯籠といっしょに
流れているのは
灯籠の火が
いつまでも消えないように
うっすらとかざした
死んだ子どもたちの
小さな手です 
 
 

 

 

 

 

空蝉 うつせみ

堤の一角が
切れてしまったのでしょうか
すさまじい勢いで
天の川が
あふれ出ています
天上から降ってくる
天の川のしぶきのせいなのでしょうか
空蝉の背中が
濡れています
裂けているということの痛みが
もうなんにもないというあてどなさが
こんなにも濡れて
光っています 
 
 

 

 

 

 

ヴァイオリン 古澤巌氏に

本当の音楽とは
沈黙の世界にまで
届くものです
ですから
無音の深みに置かれて初めて
ヴァイオリンは
みずからの音を
奏ではじめます

本当の音楽とは
ひとりで死んだ子どもの世界にまで
届くものです
ですから
共に無音の深みにあって
共にひとりで死んだ子どもの世界へ降りていける者だけに
ヴァイオリンは
みずから弦を
張りつめるのです 
 
 

 

 

 

 

火口の鳥

火山の見える町で
生まれた子どもたちは
死んだら
みんな
岩石の鳥となって
火口壁に
とまります
ついには
地の深みの火とともに
天上へと
翔び立つのですが
私の子どもは
まだ
火口壁に
とまったままです
 

 

 



 

夜の川

どれほど洗いつづけても
夜の川が
月光を
洗い終えることは
ありません 
 
 
 


 

 

 

あとがき

 昨年の夏、鹿児島県志布志市で和合亮一さんと三人で行なった鼎談がきっかけで、矢崎節夫さんと親しくなりました。童謡詩人である矢崎さんは、金子みすゞを世に広めた人であり、金子みすゞ記念館の館長でもあります。それから二度、六月と七月に鹿児島と東京で会う機会があったのですが、矢崎さんは、とにかく熱い人でした。会っている間中、文学の話しかしません。金子みすゞを皮切りに、師の佐藤義美と、まど・みちおを語り、さらに連なる北原白秋を語ってつきないのです。
 童謡詩人とは、こんなにも熱く、こんなにも純粋だったのかと、おどろく以外にありませんでした。その中でもうひとつ印象的だったのは、作品を書く際に、矢崎さんは、一篇を原稿用紙一枚以内で書くということでした。
 なるほど、詩とは本来的に短くあるべきものです。エドガー・アラン・ポーも『構成の原理』のなかで「短さは明らかに目指す効果の強さに正比例する」と言っています。
 それゆえ、私も今回は、全篇を二十行以内で書こうと思ったのです。あるいは、単純に、一篇でひとつのことしか書かないと。
 短く、ひとつのことしか書かない――それは俳句の方法でもあります。私は俳句も作っていますが、一句の場合ではどうしても窮屈だったものが、数行に分解してみると、じつに伸び伸びした詩世界となったのも事実です。もちろん、そこには私の俳句への未熟さが露呈しているわけですが、そういった事情もあって、ここに収載した作品の中には、これまでの自作の俳句を詩に書き直したものもいくつかあります。
 ところで、詩も俳句も、そのほとんどを私は、深夜、書斎で書きます。自分の内界に育まれている世界をこそ書きたいと思うからです。今回も例外ではありませんでしたが、ただ一篇だけ外でできた作品があります。「ヴァイオリン」です。指宿市の白水館での古澤巌さんの演奏中にその作品はできました。生音演奏用に造られた薩摩伝承館という特別の場所で古澤さんの演奏を聴いたのですが、そのあまりもの音色の美しさに、私はふと、この音はどこから生まれてくるのだろうと思ったのです。結論はすぐに出ました。ヴァイオリンそのものが本来的に持っている純粋な音、それに違いありません。そうして、その奇跡的な音を見事に引き出すことのできる稀有な存在が古澤さんである、そう思ったのです。その詩に古澤さんの名前を書いてあるのはそういった事情によります。
 私の書斎(というほどのものではありませんが)の正面に活火山があります。今も噴煙をあげている桜島です。
 その火口の左端に一羽の岩石の鳥がとまっています。岩石の鳥は今にも飛び立とうと言わんばかりに大きく羽を広げています。しかし、羽を広げたまま、その鳥はいつまでもそうしたままです。
 その鳥を発見したのは、四年余り前、突然に息子が三十七歳で亡くなってから一ヶ月ほど後のことでした。よく見ると、いくつかの岩石が重なってできているようで、角度的に、私が住んでいる場所からしか、その鳥を見ることができません。それ以来、私は、その岩石の鳥を死んだ息子だと思っているのです。
 そこで前述の矢崎さんの言葉にかえりますが、彼はまた、私に、死んだ息子のために一冊の詩集を書くべきだと言いました。いま私は切実にそう思っています。と同時に、全ての死んだ子どもたちの再生のために書かれる詩集があってもよいのではないかと思ったのです。
 それゆえ、その火口の一羽の鳥と、死んだ子どもたちの全てにこの詩集を捧げます。
 二〇一四年九月十七日(誕生日に)

 

                                         高 岡 修
 

詩集《火口の鳥》
二〇一四年十一月二十五日発行
著 者 高岡 修
発行者 高岡 修
発行所 有限会社 ジャプラン
    〒八九二─〇八三六
    鹿児島市錦江町一一─一三─六〇六
    電 話 〇九九─二一〇─七七一三
    FAX 〇九九─二一〇─七七一四
印 刷 アート印刷
製 本 日宝綜合製本